「私服の制服化」。
ミニマリスト界隈では有名な考え方で、持っている服の種類を極限まで減らして何枚か同じ種類の服を持つことにより「毎日同じ服で過ごすスタイル」だ。
私もその考え方に魅了されているのだが、とある理由で踏み切れなかった。
今回は、初級ミニマリストの私が「服を全て同じものにしたかったけど、流石にやめた話」と「代わりに取った大体案」について書きたいと思う。
同じように「私服の制服化」に踏み切れずにいる人や、ミニマリストでなくとも服を選ぶのが面倒な人の助けとなれば幸いである。
服を選ぶことをやめたスティーブ・ジョブズ

「同じ服ばかり着ている」というのは、世間一般では「身なりに気を使わない」というレッテルを貼ることに等しい。
しかし、著名人の中には同じ服しか着ない人たちが一定数いる。
一番有名なのはやはりスティーブ・ジョブズだろう。
スティーブ・ジョブズといえば、黒いタートルネックにインディゴのジーンズ。そしてニューバランスのスニーカー。プレゼンの時はいつもこの姿。
他にもFacebookの創業者マーク・ザッカーバーグやアインシュタインも同じ服しか着なかったという。
最近でいえば、Youtuberには同じ服を着て動画を撮る人も多い。中田敦彦やカジサック、西村博之など…
普通に考えて、彼らは決してお金がないから同じ服を着続けているわけではないはずだ。なんなら買おうと思えば、服なんて会社ごと買えるだろう。
ではなぜ頑なに同じ服を着続けるのか。
理由① 人の好みは大体似通っている
皆さんも服を買いに出かけた時に、実はだいたい似たような服を買っているのではないだろうか。
私も好きな寒色系の服ばかりクローゼットに掛かっているし、悩みに悩んだあげく買うブランドの服はだいたい同じ。

しかも往々にして持っている服の中で、着ているのは一部だけという現象が起こる。
「組み合わせがよくないから」とか「高かったから」などという理由でタンスの中に大事にしまっておくくらいなら、同じお気に入りのシャツを5枚買って毎日着る方が圧倒的に幸福度が高い。
理由② 精神的なエネルギーも有限

当然のことながら体力には限界がある。栄養も補給せず、睡眠も取らずに走り続けることのできる人はいない。
それと同様に精神的なエネルギーも1日で使用できる量には限りがある。
そのエネルギーの一部を毎日の服選びで消耗するのは勿体無いから、他のことに向けられないか。
それがこの論の考え方である。おそらく、著名人が同じ服を着るのはこの側面が大きい。
確かに、毎日服を選ぶ時間や労力は微々たるものだ。毎日5分程度のことかもしれない。
しかし毎日服を選ぶことをやめれば、時間だけでも年間で5(分) × 365(日) ≒ 30(時間)を節約できることになる。
それに加えて服の組み合わせなどを考えるエネルギーも節約できるとすれば、服を選ばないというのはある意味でかなり賢い選択だと言えるだろう。
理由③ 自己ブランディングに繋がる
Youtuberが同じ服で動画を撮り続けるのはむしろこちらの側面だと思う。
ただの服としてではなく、「アイコン」として服を着る。
彼らにとって服を着ることは、ただおしゃれをすることではない。
同じ服を着続けることにより、「この人といえばこの服の人」という印象をつけてもらうことができるのだ。
我々は、赤いジャージを着てタオルを巻いているから「カジサック」だと認識できるのだ。
スーツを着ていたりすると、カジサックどころか梶原雄太さんであることすら気づけないかもしれない。
毎日同じ服を着ることで「青色Tシャツの人」として覚えてもらえるなら、それはそれで嬉しいことだと思う。
同じ服で揃えたいけど…
これらの考え方そのものは以前から知っていたので、私も同じTシャツだけで暮らしたいと思っていた。
たった今この瞬間も、着ているTシャツを1種類にしたいと思ってやまない。
しかし、さすがに今持っているTシャツを全部捨てて新しいものを揃えるのは勿体ない気がする。
それに何より、私が求めている…
- 吸水速乾性のある化学繊維:アウトドアでも着られるようにするため
- 着心地がよい:化学繊維はえてして着心地が犠牲になる
- 普段使いしやすい:化学繊維はえてしてスポーツ感が出すぎる
- おしゃれ:化学繊維(ry
- 寒色系:お気に入りということと、他の服に合わせやすい
という条件を満たしたTシャツがなかなか見つからない。
だけど何とかして「服を選ばない」ことのメリットを受けたい…
そんな時に思いついたのが「ローテーション作戦」である。
代替案としてのローテーションという策
持っている服を一直線にハンガーに掛ける。
左から順番に着ていく。洗濯し終わった服は一番右に掛ける。

こうすることでどの服を着るかは完全に自動選択。服を選ばない恩恵が受けられるようになった。
自己ブランディング能力はないが、私は別に毎日ステージに立つような生活をしているわけではないため、特にこの恩恵は受けられなくても問題ない。
毎日服を選ばなくなったことで服に関する悩みが減ったのは言うまでもない。
ちなみに、私はこのルールを手ぬぐいや下着類にも適用している。できるところは選択の余地を無くした方が圧倒的に楽だ。
まとめ
今回は私服の制服化をする理由3つと、私が行っている代替案について紹介した。
もちろん「おしゃれこそが生き甲斐!」という方もいらっしゃると思う。
もちろん、そういう方には今回のミニマリズム論は適さないと思う。服を選ぶ楽しみが生活の質に大きく関わっているからだ。ファッションは楽しい。それは間違いないと思う。
とはいえ今はそれがあまりに過剰になっていて、知らず知らずのうちに悩まされている方も多いのではないだろうか。
「私服の制服化」ならびに「ローテーションによる、疑似的な私服の制服化」が気づいていない悩みを解決できるきっかけになれば幸いである。
コメント